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プロフィール

アッキー

Author:アッキー
旅と写真、音楽がすき
カメラ片手にいつも
プラプラと旅しています


時々、写真展示もしてます
現在は「インド」の個展を
静岡県島田で開催中。

詳細→
http://tabisuruasia.blog.fc2.com/


ほっこり、ゆるく生きてます

☆PEACE☆


.
8/14に開催された
写真展記念partyの動画








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蓮 2011

2011.06.30 17:37|
早朝、毎年恒例の蓮に会いに行ってきました。
平日ということもあり、人が少なかった。

まだ、ちょっと早かったかな。
もうちょっとしてからまた会いに行こうっと。

今年の蓮、お届け~!

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お伊勢さん

2011.06.30 17:30|
先日、久々に伊勢神宮に行ってきました。

しかも家族旅行。


昼間の伊勢神宮は混むから、深夜出発して朝6時前に到着。
途中、昇ってくる太陽がとても大きくて感動。

外宮、内宮を周る。
散歩やジョギングしてる人たちと挨拶を交わす。
。。。ジョギングコースが伊勢神宮なんて、
なんて贅沢なっ!!(笑)
うらやましいです。

太陽がまぶしいくらい。
それにしても、天気がよすぎました。
まだ朝なのに、暑いくらい。。。
これは、やはり「天照大御神」の力でしょうか・・・?

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そして、やっぱり木に感動。
本当にすごい。
生命を感じる。

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伊勢神宮は何度行っても、大好きなところ。
でも、暑いのが苦手な私は暑くない時期に行きたい・・・

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まだ10時前なのにかなり暑いおかげ横丁。

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暑すぎてソーダのアイスを食べたら、
急激に冷たいものを食べたせいか、お腹を壊しました・・・

そんなこんなで朝の伊勢を満喫したので鳥羽へ移動。
私、牡蠣はそれほど得意ではないので、海鮮丼(笑)
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パピー(父)と妹はここぞとばかりに牡蠣を食べまくってました。
牡蠣好きには、たまらないんだろうね~。

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その日のうちに愛知に移動。
伊勢湾岸道、好きなんだよね~。
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愛知でホテルにチェックインし、夜は飲みに行きました。
家族で(笑)
家族で飲みに行くのも久々だったなー。
私は寝不足だったせいもあり、その夜は早い時間から爆睡。。。

翌日は、中国人のワーワー騒ぐ声で目覚める。
一瞬、中国かと錯覚

その日は豊田でやってるフェルメールの絵を見に行きました。
私は、フェルメールの絵はヨーロッパで数点見ていたのですが
パピーが散々、「フェルメールフェルメール」と騒いでたので、
連れて行きました。

最近、美術館からは遠ざかっていたけど、
やっぱり絵、見るの好きだなーと久々に思いました。
フェルメールや、ゴッホ、レンブラントとかが結構好きなので
オランダは何かと、やっぱり私の心を掴むなあ。
オランダの奴め。
と改めて思いました。

オランダ行った時も美術館巡りをしたけれど、
広すぎて見切れない部分もあったから、
今度また見に行きたいなーと思ったり。


そんなこんなで、1泊2日の三重と愛知の家族旅行。
私は運転メインだったのですが、両親にも楽しんでもらえたようで
行ってよかったなあと思います。

「今度は平泉行こう。」とか言い出してる両親ですが、
それは多分、家族で行くより私が先に行くと思います(笑)



両親と泊まりで旅行に行くのなんて久々だった。
震災のことがあって以来、家族や周りの人のことを
考える機会が以前より多くなったんだ。

私、正直言って全然、親孝行してないから
先日の南三陸町で写真修復の作業をしていて、
家族の写真が欲しいと強く思ったんだ。
今までだって、家族写真を撮らなかったわけじゃないけど、
でも、南三陸町に行って強く強くそう思ったわけで。
失ってから気づくのではなくて、
「家族や周りの大切な人たちの存在のありがたみ」みたいなものとか、
そういう大事なことを被災地に行って教えられた気がするんだ。


だから今回は家族で行けてよかった。
いつも親不孝な私ですが、
少しだけど、親孝行できたかな・・・?


3ヶ月後の南三陸町その5

2011.06.19 22:42|ボランティア
南三陸町を後にする。
何だか、名残惜しい気さえしてくる。
やり残してきてることが多すぎる。
だからといって、私たちだけで出来ることなんて微々たるものということも分かってる。
でも本当にまだまだ人手が足りないし、物資も必要なのが現状です。


そういえば、朝テントの前を子供たちが何人も何人も通りすぎていった。
私たちに向かって「おはようございます」と声をかけてくる子供たち。
私も「おはよう~」と挨拶。
あの子供たちも辛さや悲しみを乗り越えて、
それでも一生懸命がんばっているんだよね。
あの子供たちの小さな小さな胸には
大きな大きな痛みがあって、
それは決して簡単に消えるものではないけれど、
でも、前を向いているんだよね。

何かのCMじゃないけど「おはよう」とか「ありがとう」とか
そんな当たり前の挨拶だけど、その挨拶を南三陸町では、いっぱいした気がする。
あえてしていたのか、それとも無意識にしていたのか、
正直自分でも分からない。
でも、例えわざとであっても、無意識であっても、
挨拶は一瞬でもその場を明るいものに変える力があるんだと感じた。


東北道の築館インターに向かう。
道が悪いところがあって、ちょっとスピードを出していると
ガックンガックンなる・・・

そして、仙台で高速を降り、
「災害派遣等従事車両証明書」を係員に見せる。

「ご苦労様でした」とあたたかい言葉をかけてもらえた。

今回、帰り道は証明書を発行してもらえたのですよ。

でも仙台で渋滞にハマリ、イライラしながら名取市閖上(ゆりあげ)に向かう。
この映像はニュースで見た人も多いかも。
仙台空港の近くです。


私はGWにも行っていたのですが、前回よりだいぶ片付いていたと感じました。
少しずつだけど復興していく景色を見れてよかったし、
次に訪れた時は、また少しでも進んでるといいなと心から思う。

そして、前回ボランティアをさせて頂いた農家さんの家の近くも通った。
本当は挨拶に行こうかと思ったけれど、いきなり行くのも何だし・・・
と思ったので、その分影ながらこっそり応援してきました(笑)


そしてテントを立てて、牛タン屋「利休」に行って
たらふく食べて、お風呂に行って、
すっきりしてから飲みに行きました。
ラストオーダーまで1時間ちょいしかないのに、
飲み放題にして、2人でものすごいペースで飲みまくりました(笑)


ヘロヘロになって千鳥足でテントに戻り爆睡。。。

・・・が深夜から大雨
テントが飛ばされるんじゃないかとヒヤヒヤしておりましたが
何とか持ちこたえてくれました。

外に干しておいたタオルのことをすっかり忘れており、
朝テントの外に出たら干した時よりタオルは、
びしょびしょになっていて干した意味がない状態(苦笑)


そして帰り道には大好物の喜多方ラーメンも食べ、
満腹で帰ってきました。
私たちが東北で出来ることのもう1つがこれだからね。

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がんばろう宮城!! 負けるな!!東北。
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そんなわけで長々と書いた南三陸町日記も終了です。
おつきあいありがとうございましたー。
何かの参考になったりしたら幸いです。

もしも行きたいと思ってる方がいたら是非行ってほしい。
車がないなら交通機関が発達しているエリアもあるし、
テントがなくても、宿があるエリアもあるから。
関東から日帰りの人も結構いるし、ツアーバスだってある。
それに現地に行ったら、
「私に出来ることなんてあるか分からない・・・」
なんて言ってる暇ないくらい、やるべきことはいっぱいあるよ。

そして何よりも、現地の人と触れ合って、
現地の様子を自分の目で見て、感じることによって、
本当にこの津波、震災の恐ろしさを肌で感じることが出来るし、
その痛みを少しかもしれないけど知ることによって、
ものすごく身近なものとして捉えることが出来る気がします。

今は地震も落ち着いてきて、電気も供給されているから
あの時のことが少しずつ遠い過去になりつつあるけれど、
まだまだ終わりじゃないんだと言うことも再認識させられる。


南三陸町での時間は私にとってかけがえのない時間になりました。
行ってよかったと心から思う。
自分にとって大切人や、家族とかについても
すごく考えさせられたし、感じることができました。
それは今後の私にとってきっと大切なことだと思う。
あと、写真に対する気持ちの持ち方も、少し変わりました。
写真修復をして、写真の持つ意味だとか、理由とか、
そういうことも改めて思うことも多かった。

一度、自分が訪れた街というのはどういうわけか親しみを感じる。
南三陸町はまさにその一つで、この町が少しづつでもよくなっていくこと、
それを自分の目で見たいし、感じたい。
そして、また次なるプランを考え中。
私は瓦礫と化した南三陸町の街しか知らない。
それなのに、なんでだろうね?
好きになりました。南三陸町。



宮城県災害ボランティアセンター
http://msv3151.c-bosai.jp/index.php

3ヶ月後の南三陸町その4

2011.06.19 22:26|未分類
昨日は、東日本大震災から100日。
こっちにいて普通の生活をしていると
まるであの津波や地震が遠い昔のことに感じてしまうけれど、
でも、まだまだ終わってません。
亡くなった方々のご冥福を祈ると共に、
被災してがんばってる方々に笑顔が戻る日が来ますように。


*************************************************

海はとても静かで穏やかだった。
あの恐ろしい津波が来たとはとても思えないくらい。
だけど、海に浮いてる丸いやつ(あれ、なんていうの?)なんかが
木の枝にひっかかってたり、車や船がひっくり返ったりしてる光景を
見ると、やはりあれは現実なんだな・・・と実感せざるを得なかった。

12時過ぎにアポをとってあった場所に到着。
南三陸町のT地区。
私たちの1週間前に物資を届けて周っていた知人から
「南三陸町に行くのなら物資を持っていって欲しい場所がある」
と紹介されていた場所。

到着すると、数人の方が出迎えてくれた。
初対面だけど、私自身も電話でお話をしていたし、
知人が話しを通してくれていたので、スムーズに事は運んだ。

車からダンボールの箱を出し、並べる。
集まってきた人たちが、目の前で欲しいものを持っていく。
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前の日記にも書いたけれど、水、生理用品、化粧水、
洗顔フォームなどがメイン。
見る見るうちに箱は空になった。
最初、水が減らなかったので、「あれ?」と思ったけど
きっとみんながみんな水を必要としているのを、
そこに集まった人たちは知っているので、遠慮していたのかな?
と思った。

そこの方からお話を聞いた。

「水道から水が出て喜ぶ人もいるんだげど、

でも水じゃなくて海水だがらねー」


そう、水道からは海水が出てしまうんだそう。
ある程度のことは海水で済ませることも出来るけれど、
でも海水だから、もちろん錆びてしまうし、植物は枯れてしまうそう。
ここはまだ水道がちゃんと復旧していないのです。

車も流されちゃって、辛うじて残ったのは軽トラックのみ。
そしてみんな靴下を履いていなかった。
半分笑いながらみんなが素足を見せてくれた。
「靴下もない」状態だった。


自宅非難への方への物資は止まってしまっていて、
本当に物資を欲しているのは自宅非難の方々。
失業だってしちゃってるし、どうやってこれから生計を立てていくのか。。。
そんな不安もいっぱい感じられた。
話を聞いて、正直、何て答えたらいいのか分からなかった。
私なんかが簡単に物事を発言できるような状況ではなかった。
相手の話を聞いて、自分の中で一つ一つをかみしめて、
消化するしかなかった。


自分が同じ立場なら私はどうするだろうか?
その状況に自分を置いてみた時に、私には何が出来るだろうか?
津波で家族や友人、大切な人たちを亡くした人たちも多く、
だけど、悲しみに打ちひしがれてる暇もなく、
自分たちは生きていかなければならない。
だけど生きていく上で、必要なものがなかなか手に入らない。
でも、そんな状況なのに、代表の方はちゃんと前を向いていた。
前を見据えて、今後のことを考えていた。


実際、まだまだ物資は必要です。
ニュースなんかでは物資は有り余ってるようなことを言ってたりもします。
でも、それも間違いではないと思います。
あるところには、たくさんあるんです。
でも、ないところには本当にないんです。
今回、それを改めて感じました。


この場所に対して色々と動いてくれている方がいるのと、
こちらの地区にダーっと物資や連絡が殺到して、
代表の方に迷惑をかけてしまう恐れもあるので、
今回、この場所をあえて「T地区」としました。
でも、もしも興味ある方がいたらご連絡くださいな。

そして数人の方に見送られながら、その場所を後にしました。

今回、こちらに少しながら物資を持っていくことができて
私はとても嬉しかったし、よかったと思ってる。
おーちゃんもそう言っていた。
本当に物資を必要としてる方々の少しでも役に立てば・・・
そう思っていたし、目の前で見る見るうちになくなっていっていく光景に
私たちでも少しは役に立てることがあるんだな・・・と思った。
そして本当に少ししかないけど、喜んでもらえたことが嬉しい。
そして、短期間にも関わらず協力してくれた仲間には本当に感謝しています。
みんな、ありがとう。


そして来た道を戻り、瓦礫と化した場所を通り、
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どうやら駅だった場所を見つけた。
ナビには駅の表示。線路も落ちて崩れていた。
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だいぶ海から離れたところにも、津波の爪あとは残されていた。
そして私たちは南三陸町を後にした。


つづく。

3ヵ月後の南三陸町その3

2011.06.19 22:19|ボランティア
翌日の朝。
ボランティアは基本的に自己完結な為、食料、水なんかは
ある程度持参しているので、コーヒー飲んだり、
朝からカップ麺だったり・・・とまあ、のんびり朝食。

そしてみんなとはそろそろお別れ。
本当に短い間だったけれど、出会えてよかった。
ドリンク剤を大量に持ってきていたので、
これから力仕事するメンズに差し入れ。

こういう状況で必死になって誰かの為に
瓦礫撤去や力仕事を頑張ってるメンズたちは
とても頼りになるし、かっこいいです
恐らく、女子みんながそう思ってることだと思います。
そして何かと面倒を見てくれた静岡の小松のおやじも本当にいい人だ。
小松のおやじと、村長に出会えたから、ここでの時間、
みんなとの距離がグッと近くなったんだ。
そして、これからも居続けるだろう村長とヤーマン兄。
彼らもそうだけど、一人で来ている人が多かった。
短期間の滞在の私たちにみんなすごくよくしてくれて、
テント泊や車中泊してる女子なんてほとんどみなくて
「私だけ?」って状態だったけれど、だけどとても居心地がよかったよ。
みんな、ありがとう

そして作業に向かうみんなを見送った。
みんなの背中はとてもたくましくて大きくみえたよ。


そして私たちはテントを片付けて、VCへテント許可証を返しに向かう。
三田さんと、小林さんを発見
ちゃんと最後に挨拶ができて本当によかった。

そして自衛隊のお兄さんたちとみんなと一緒に記念撮影。
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自衛隊は現地の人たちと一緒にがんばっています。
本当にかっこいいと思うし、現地の人たちにとても感謝されています。
小さな子供たちが「将来は自衛隊になる!」って言うのもうなずけます。
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そしてVCとお別れ。
VCを去ることが名残惜しいくらいだった。

そして津波で流されてしまった街に向かう。
道路が行き止まりになっていたり、
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本当に何もかもが壊れて、流されてしまっていた。
「戦後の日本みたい」とはよく聞くけれど、まさにそんな感じ。
ゴーストタウン。
自衛隊の人たちや、重機を動かしている人たちの姿が
ポツリポツリと見えるのみ。
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そんな時に一軒の店を発見。
何もない場所に「たばこ」が目立っていた。
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おーちゃんがたばこをずっと買いたがっていたので立ち寄ることに。
中に入ると、たばこ以外にもジュース、ビール、パンなども売られていた。
じゃがいもと、ネギも売っていた。
そういった野菜類も手に入るようになってきたとのことだった。
明るく元気なお母さんと、黙々と陳列するお父さんが切り盛りしていた。

この店の周りは本当に何もない。
お店の方に聞いたわけじゃないけれど、
きっとここに元々店があって、津波で流されちゃって、
それでも頑張って仮設の小屋でお店をオープンさせたんだろうな。
そして、ここのお店とかがきっと拠点になって、
「●●さんは○○にいるよ!」みたいな情報の中継地点みたいに
なったりしてるのかもな~と思った。
みんなの心の拠り所になるような、そんなお店なんだろうな。


そして、そこから少し車を進めると、先日小林さんが言っていただろうビルを見つけた。
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車が上に乗ったまま。
津波の高さを物語っている。

おーちゃんと車を降り、線香をあげ、手を合わせた。
今回は、線香を持ってきていたの。
私は前回のことがあったから、今回は線香を持って行って
祈りを捧げようと決めていたの。
おーちゃんもそれにつきあってくれて、
自分たちが何となく感じるような、ふと思うような場所を通りすぎる度、
2人でお線香をあげて、手を合わせて祈った。
苦しんで亡くなった人たち、思いを残して亡くなった人たち、
本当に、本当につらかったよね
そんなあなたたちが、安らぎの気持ちを持って逝けますように。。。

そして、私のそういうことにつきあってくれたおーちゃん、
本当にありがとう。


志津川中学にも行ってみた。
高台で、無事だったところの一つ。

(津波が来たときの映像)


そこから見る光景は想像を絶するものだった。

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なーんにもないの。
街が丸ごと流されてた。
言葉が見つからない。
津波の恐ろしさに身震いがした。


そして、先日おーちゃんが瓦礫撤去をした場所に連れて行ってくれた。
街とは少し離れたところにある、海が目の前に広がる場所。
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おーちゃんが瓦礫撤去のときに誰かから聞いた話しらしいけど、
津波が来る前は向こう側に見える岩の底が見えるくらい波がひいたらしい。
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そして、「ねえねえ、海がめは?」と私。

先日から「海がめ、海がめ」と騒いでいたので聞いてみた。

「ここだよ、ほら」

ひょーーーーーーーーーーーーーー!!!

本当に海がめだ
私は手の平サイズとかを想像していたのに、1mくらいかな?
かなり大きな海がめがひっくり返っていた。
おーちゃんが、海がめ海がめと呪文のように言っていた意味が分かりました。
大いに納得。
しかも想像より大きくてびっくりして腰ぬけそうになった
先日から海がめ海がめ言ってて、「何それ? は?」
とか思ってた私が、不覚にもすごく驚いてしまったので、
その姿にどことなく満足そうにしているおーちゃんでした(笑)

「剥製かな~?流されてきたのかな~?」

ん~。。。分かんない。
でも、今考えてみると、津波で流されてきた海がめだとしたら
きっと虫とか湧いてるだろうし、多分剥製かな・・・

そして瓦礫の横にはたんぽぽがあり、力強さを感じました。

そして、その後は海へ。
あんなに大きな津波がきて、街を飲み込んでしまった海。
それなのに、そんなことが信じられないくらい、とても穏やかだった。

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多分、津波が来る前は穏やかで、海の恵みも豊富で、
とても美しい海だったんだろうな。
そんなことを思いながら、海を見続けていた。



つづく。

3ヵ月後の南三陸町その2

2011.06.16 22:11|ボランティア
4時前に瓦礫撤去を終えたおーちゃんが戻ってきた。
おーちゃんは海の近くの家の瓦礫撤去をしてきたそうで。
茶碗とかあって、なんていうかな、うまくいえないけれど
そこにあった「命」を感じてきたみたい。
そして津波の恐ろしさも。

瓦礫の山は、津波が来るまでは瓦礫でも何でもなく、
人の家だったり、誰かが生活していた証だったりするわけで。
作業をし、海を見ながら色んなことを感じてきたみたいで、
色々と話してくれました。

でも、「海がめが・・・・」と何度も言っていました。
村長に「質問していい?海がめが・・・」と村長にも海がめについて聞いていました。
海がめって・・・(笑)
意味分かりません
(海がめについては後日の日記に書く予定です。乞うご期待)

ちなみに、おーちゃんはこっちのブログにも写真掲載されてます。
http://babanakayama.client.jp/diary/201106/diary20110612.html


そうそう、そういえば日曜はベイサイドアリーナで
フリーマーケットが行われていました。
フリーマーケットと言っても、本当に全てフリーらしいです。
各自、袋を渡されて個数の限定なのかわからないけど
とにかく朝からすごい賑わいでした。
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私たちは「ボランティア証明書」みたいなのを発行してもらい、
それを持って、VCの後ろの方にある役場へ向かう。
VCがある「ベイサイドアリーナ」は広い敷地内に、
今は役場やら色んな施設が入っている。
恐らく、役場も全部流されちゃってるからここにあるんだと思うけど
役場に行くと、すんなりと帰りの分の
「災害派遣等従事車両証明書」を発行してくれた。
(これについては、先日の日記参照)
しかも、途中下車OK

その後は風呂へ。
風呂と言っても、驚くなかれ。
なんと、自衛隊風呂じゃー!!!!!
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被災者以外にもボランティアも入っていいとのことで、
入らせていただきましたー

男湯、女湯と別れていて、女湯の前には女性の自衛官がいます。
テントの中に大きな四角い箱のような感じのバスタブがあって、
貴重品入れる小さなロッカーもありました。
あとは、シャンプー、リンス、ボディシャンプーも常備。
シャワーはもちろんありませんが、洗面器があって、
箱型の湯船(大きめ)からみんな洗面器にお湯を入れて
ザブザブ洗っていました。

風呂で被災者のおばあちゃんたちとお話をしました。
おばあちゃんは近所に住んでるわけじゃなく、
車もないから数人で乗り合わせて毎日通ってるとのこと。

「ここはね、安心してお風呂に入れるし、本当に気持ちいい。
自衛隊には感謝しても感謝しきれないくらいだよ。ありがたいよー」

と言っていました。
まさにその通りで、風呂はとても気持ちがよかった。

まだ5時くらいなので、近くにあるという仮設のローソンへ。
津波で流されてしまったこの町で、コンビニを初めて見ました。
しかも、冷えたビールも売っていて、ビールと缶チューハイをゲット。
テントでお疲れさん乾杯

そうそう、テントは朝のうちに張っておきました。
テント張る場所は道路の横なんだけど、
(テントサイトとかではなく、ホントに道路の脇)
朝、村長や小松のおやじが「早いうちに張っちゃいな」と
言ってくれたので、朝のうちにテントを張って、
昼間にテントの申請をしておいたのです。

まるでフェスな私たち。
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夕飯はカレーにしました。
こういうところで食べるのって何であんなにおいしいんだろうね?
レトルトなのに(笑)

そして隣のテントからはレゲエが聞こえてたと思ったら、
しばらくしたら

「んんんんんんんん?????」

と思う音楽が聞こえてきて、
もしやと思って話しかけると、まさかのまさかの

「ダライ・ラマ法王」でした。

ダライラマ法王の声明が流れてきたのです(笑)
そんな隣のテントのヤーマン兄も、長期滞在で
普段はかの有名な某フェスなんかのデコをやったりしてるそうで。
ヤーマン兄、めちゃめちゃ面白い。
でも、ダライラマ法王は、この場所にぴったりだと思いました。
ご存知の通り、今回の震災後に来日し法要を行っていたし、
命を落とした方々への供養も込めて、
そして私たちへの心の癒しも込められてる気がしたから。

そして、村長、ヤーマン兄や他2名が私たちのテントに遊びに来て、
キャンドルナイトしながら色んな話をしました。
私たちなんかよりずっとずっと長期で滞在してる人たちの話は、
参考になるし、だからといってみんな気張りすぎず、抜くとこ抜いてる。
がんばりすぎちゃうと、自分がもたなくなる。
だから、ほどほどに。
でも、愛は持ってる。

何かと頼りになる愛すべき村長とヤーマン兄。
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南三陸町に来なければ出会わなかった人たち。
このタイミングで、こうやって出会えることもきっと何かの縁かな。


つづく。


3ヵ月後の南三陸町その1

2011.06.15 23:35|ボランティア
震災から3ヶ月。
私は、宮城県の南三陸町に向かいました。

地名を聞いたことがある人は多いと思いますが
陸前高田、気仙沼を下った辺りにその町はあります。

現地の人たちに現状を伝えてと言われました。
なので、今回は写真も掲載していきます。


東北道の築館ICを降りて、下道で向かう。
太陽が昇る。
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当たり前のことなのに、その美しさに感激してしまう。
あんなに酷い津波に襲われたこの東北にも
太陽はちゃんと昇ってくれて、夜は明けるんだ。

そしてしばらく進むと突然景色が変わった。
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南三陸町に入ったのだ。
ナビにある目印なんて全くない。

南三陸町のVC(ボランティアセンター)の駐車場に到着。
一時はかなり多くの被災者が非難生活をしていた場所。

隣に車を停めていた人たちと話をする。
流暢な英語を話すメキシコ人ビーさん、北海道からきている村長、
「静岡」ナンバーの小松のおやじさん、そして色んな人たち。
みんなとても気さくで、VCがまだ開いていなかったこともあり色々お話する。
どうやら、1ヶ月とかの長期滞在者たちが多く、
何かと色々詳しいので質問攻めにしてしまった(笑)
ちなみにその間は、おーちゃんは爆睡・・・
例の如く、起きやしない(笑)


そしてボランティアの受付が始まる。

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内容は自分で選べたので、私は「写真修復」、
おーちゃんは「瓦礫撤去」の作業に決定。

おーちゃんは瓦礫撤去のメンズたちとVCを去っていき、
私は写真修復作業なんだけど、ツアーの団体さんが60人くらい来たので、
急遽、カメラマン三田さんのアシスタントをすることに。
三田さんの仕事は、写真をスキャンして、それをフォトショップで
補正して、CDに焼くという仕事。私は、ひたすらスキャン。

三田さんも一ヶ月弱滞在しているようで、
この人がこれまた、世界中の世界遺産を撮影しながらの旅人。
南三陸町の状況とかも色々と話を聞かせてくれたり、
とにかく仕事がしやすかった。

昼は持ってきたおにぎり2個を食べる。
東北に向けての出発前に友達の家に遊びに行ってたんだけど、
その友達が「私は何も出来ないから、せめておにぎりくらい作らせて」
と言ってくれ、私とおーちゃんの分の
でっかいおにぎり6個を作っていてくれたの。
本当においしかった。ありがとう


昼は三田さん、南三陸町の小林さんというおばちゃんと3人で食べる。
小林さんから津波の話や、今後の南三陸町の話を聞かせてもらったり。

「どの道から来たの?」

と聞かれ、「築館で降りてきた」と答えたら

「じゃ、町を通ってきたんだね」と言われた。

「え?町?通ってないと思うけど・・・」と答えたら、

「あー、町、全部流されちゃったからわがんなかったんでしょ」と返事。


私は言葉を失ってしまった
そっか、あのたくさん山積みになった瓦礫は、町だったんだ・・・

地元の住民の小林さんが色々教えてくれたおかげで
何となくの地形がわかってきた。

そして昼の休憩時に車に戻ったら目の前に「富士山」ナンバーの車発見!!
話をしてみたら、隣町に住んでる人だった。
なんともすごい偶然!
と思ったら、もっとすごいことに共通の知り合いがいた(笑)
世間は狭い~(笑)
彼女たちは物資を届けにきていただけらしく、
私も時間がないので、すぐにお別れしてしまった。
(でも連絡先の交換はちゃんとした)

そして午後。
午前の団体が一気に帰ってしまったため、
私は写真修復の方を手伝うことにした。
あんなに午前中はいっぱいいたのに6人くらいしかいない。
しかも日曜なのに・・・
南三陸町は交通の便があまりよくなく、車じゃないと入りにくいから
石巻や他のエリアと比べてボランティアの数も少ないみたい。
最初は石巻に行っていたけど、南三陸町に移ってきたという何人かにも会った。

写真修復作業
泥や砂まみれになった写真、アルバムなんかを修復していく作業。
中には賞状とか、貯金通帳とか、パスポート、学生証、
年賀状、手紙・・・そういったものも含まれている。
津波で流されてしまったものを自衛隊の方たちが拾ってきて、
それを修復して、写真展示して持ち主に返すという仕事。

全く顔が分からないものは処分。
少しでも分かるものは写真を洗ったりして、きれいにしていく。

結婚式の写真、赤ちゃんの写真、恋人との写真、
家族の写真、職場らしき人たちとの写真、
体操してる写真、旅行の写真・・・

そこにはたくさんの思い出や歴史が刻まれていた。
こすると消えてなくなってしまうものも多かった。

私は写真が好きだから、この仕事は私にはもってこいだと思っていた。
だけど、私は甘かったんだ。

全く知らない人たちだけど、
その写真の中には笑顔や、色んな感情がいっぱいあって、

「この人は無事だっただろうか?」とかそういう思いでいっぱいになってしまい、
写真を洗いながら、涙が止まらなくなってしまった。
一人で泣きながら作業を続けていた。
感情移入しやすい私は、それがつらいものに変わってしまっていた。


そんな時に、大分県から長期滞在で来ていてみんなから親しまれている
スーパーボランティアのおじさんが、

「いい写真だね」と話しかけてきた。

「持ち主の元に戻るといいですね」と答えると、

「絶対に持ち主に返す。絶対に生きてる。だから絶対に返す。
その為に、こうやって作業してるんだよ」

とおっしゃいました。
その言葉に胸がいっぱいになって、
また一人で泣きながら、マスクの中は鼻水でジュルジュルになりながら
作業を続けました。

その言葉を聞くまで私は、

「無事だといいな」とか、「この人は生きてるだろうか?」

とかそういう気持ちで作業していた。
でも、そうじゃなくて、

「絶対に生きてるから、本人に返す」

って言う気持ちで作業したいという思いに変わりました。
そう思うと、写真の中の人たちのことが本当に愛しくて、
この人たちがこの写真を手にした時のことを考えたり、
笑顔がまた戻ったりしてくれたらいいなとか思ったりして、
そしてこうやって出会えたのも何かの縁だなと感じました。

私が手がけた写真に写った人たち、
あの場所でたくさんの人たちが修復した写真たち。
今月の17日くらいから8月まで、写真展が行われるみたいです。
あの写真に写ってる人たちが、取りにきてくれますように。
絶対に生きててください。
そして、あなたの、あなたの大切な人たちの写真を取りにきてください。

この数時間で、私は多分色んなことを教わった。
それは今後の私にとって必要なもの。
大切な人や家族。
そして何が大切か。
そういうことを、この数時間でとても考えたし、
それを大切にしていきたいと強く、強く感じた。


つづく。

出発

2011.06.10 23:45|ボランティア
明日で震災から3ヶ月。


明日の夜、宮城県に向けて出発します。
今回の行き先は南三陸町。
南三陸町でボランティアさせていただきます!

津波が来てテレビで映像が流れていて、
そのあまりに酷すぎる現実に何度も何度も
夢だったらいいのに。と思った。

震災後、2度目の東北。
一度、あの酷さを見てしまったら、例え微力であっても
何かせずにはいられなくなる。

GWには岩沼、名取、山元町近辺には行っていたけれど、
テレビを見ていて、どうしても行きたいと思った場所。
それが南三陸町だった。
津波の被害も本当に酷いところ。

南三陸町は今でも電気や水道の復旧がまだまだみたいです。
先週末、知り合いが物資を届けに行ったので
色々お話を聞かせていただきましたが、
まだまだ過酷な状況は続いているようです。
水不足はかなり深刻な模様。
私たちが毎日入ってる風呂にも未だ、なかなか入れない状態。

物資も、あるところにはあるけれど
ないところには全くないそうです。
そんな話を聞いたら、

「せっかく車で行くんだし、物資を積めるだけ積んでいこう。」


ということになり、急遽、火曜日から集め始めました。
物資がたくさん集まる避難所のような場所ではなく、
本当に必要としている方たちがいるところを紹介していただき
そちらに届けさせていただくことも決まり、
かといって、自分たちのテントやら食料やらの荷物があるので、
物資が集まりすぎても車に乗せきれない・・・ということで、
「持っていける程度」と言うことを前提に周りに協力を
求めたら限られた日数だったのに、想像以上に沢山集まりました。


◎水2リットル(6本入)×4ケース
◎化粧水×15本
◎洗顔フォーム×18本
◎石鹸×1箱(入り数数え忘れ)
◎アルコールハンドジェル×1本
◎汗ふきシート×12梱包
◎手鏡×2
◎くし×2
◎リップ2本入×2
◎生理用品 普通(入り数色々)×38梱包
◎生理用品 夜(入り数色々)×24梱包
◎歯ブラシ×10
◎歯磨き粉×6


ご協力してくださった方、本当にありがとうございました
みんなのあったかい気持ちと愛を南三陸町に運ばせていただきます

そして今回のボランティア活動は、どんな仕事になるかなー?
ドリンク剤もゲットして準備は万全(笑)
力仕事もしますよ
でも、他の人の邪魔にならないよう、
足手まといにならないようにしなきゃ(笑)

それでは行ってきます。

がんばっぺー!!

うまくいく。

2011.06.08 22:42|
心を落ち着かせて。

ゆっくり深呼吸。

hanaのコピー

大丈夫。

きっとうまくいく。



なんだかなあ。。。

2011.06.08 22:38|ボランティア

6月11日であの震災から3ヶ月。


先日の日記にも書いた

災害派遣等従事車両証明書

今日、申請に行ってきました。


私、今週末に宮城県に行くのでございますが、
現地のVC(ボランティアセンター)とはすでに連絡がついており、
高速料金が無料になるシステムのこの証明書発行について、現地から
「地元の自治体で申請してきてくださいね」
と現地の代表の方のお名前なども頂き、許可をいただいております。


そして、この証明書は自分が住んでる場所の自治体で発行してもらうのが基本なので、
今日、市役所に行ったものの、どこの課にいけばいいのか分からず
受付のお姉さんに聞いてみたら、お姉さんもどこの課なのか分からず、
それらしき課に電話をして確認をとってくれましたが、

「電話、代わってください」

と電話の向こうの相手に言われたらしく
私がその相手と電話越しに話をしました。

ところが、

「個人には発行してない」

とあっさりと却下。
しかも電話越し。
姿を見て、話すことさえ許されず(笑)

完全たる門前払い。

チーン・・・

あたし、門前払いされたのなんて生まれて初めてだよ(笑)

事情説明しようとしても、

『個人には発行していない』の返事。

『検討します』とかは全くナシ。

話を聞く意志さえないんかい?


その高速料金を負担するのが市とかっていうなら
許可したくない気持ちは分からないでもないけれど・・・
負担するのは市じゃないのに…

現地の承諾があれば今は色んな県や市では
それを発行しているのに、なんで我が富●市は発行しないんだ?
と怒りを通り越して呆れてしまいました。

「他の市では市のホームページでも発行してますって案内してるし、
個人でも取得してる人いっぱいいるのに、富●市は発行してないんですか?」


と聞いてみましたが、

「個人には発行してません」の一点張り。

なんだかなあ・・・

粘りに粘りましたが、
もう、どーでもよくなってきました(笑)

ボランティアに個人で行く私が悪いみたいな気持ちにさえなってきました
私、悪いですか・・・?


静岡県なんて、いつ地震がきて津波がくるかわからないから
被災地の気持ちは少しでもわかるはずだし、何かしたり、
もっとそういうことを考えたり協力するべきなのに・・・
前に市が南相馬市へ物資集めたのも震災からだいぶ経ってからだったし、
おまけに南相馬市から依頼されてからの行動だったし、
何て対応が遅い、マニュアル通りの堅物なんだ・・・
と、なんだか怒りを通りこし、正直呆れました。

元々、申請しないで行くつもりだったから
まぁ振り出しに戻っただけだから、
それはそれで仕方ないし、別にいいんだけど、

例えば同じようにこっちが被災した時のことを考えたら、
こんな固い役所じゃ、たまらないなと思いました…
臨機応変に動いてくれないんだろうなと、しみじみ感じてしまいました。


高速週末1000円システムが終わっちゃったら、
ボランティアの数は圧倒的に減ると思う。

そういう人たちが高速料金を気にせずに
現地に行きやすいシステムがこの証書なのになあ。

もちろん、ちゃんとボランティアしたり、物資を運んだりという
何らかの証明は必要だと思うし、その審査はあって当然だと思ってる。

でも、まあ、だからと言って、行くことをやめる!!!
・・・なんて、そんなことは出来ないからなあ、私。

一度、あの状況を見てしまったから、ほっとくことが出来ない。
私一人が行ったところで、何も変わらないけれど、
でも、何もしないでいることの方がつらい。

以前より東北への思いが強くなったし、
東北がますます好きになった。
だからこそ、復興していく姿をちゃんと自分の目で見て、
感じていきたいのです。






災害派遣等従事車両証明書

2011.06.02 23:27|地震

「災害派遣等従事車両証明書」

の仕組みについて詳しい人いますか?

災害派遣等従事車両証明書を持ってる車は、
被災地へ救援に向かう場合、高速道路の料金が免除されるのです。

物資を運んだり、ボランティア団体に所属してる人は
おそらく発行されやすいんだけど、
前回、地元のボランティアセンターで聞いてみたら
個人への発行は難しいと思う。と言われました。
でも、ネットで見てると発行してもらってる人が結構いるっぽくて、
チャレンジしてみようかな?とか思ったりもしたんだけど、
書類やら規定やらがめんどくさそう・・・

おまけに書類に記載してある日付けを越えたらどうなるの?とか、
記載してあるICから別のところに立ち寄りたい場合はどうなるの?とか、
何か、きっちりスケジュール決めていかなきゃ無理そうなんだよね~。

使えたら便利ですが、
実際問題、予定通りに行動が出来ない私としては
スケジュールをきちんと決める。
ということが非常に、ハードルが高いわけです(苦笑)

さて、どうしたものでしょう?

誰か申請した人、利用した人、いますか?

雨の休日

2011.06.02 23:19|休日
今日はひょうたんランプを久々に作った。

20cmくらいなので少し小さめで、
おまけに皮が薄すぎて、バキバキバキバキ割れていく
あ~あ・・・
柔らかくて、穴を開けるのは簡単なんだけど、
穴と穴が繋がっちゃってるし・・・

次回は、割れないように彫りたいです。

CA3F0344.jpg


朝からレアチーズケーキを作り、
その後はひょうたんランプ彫って、
昼過ぎからは久々に「メンタリスト」と、「クリミナルマインド」を見てのんびり。

そんな雨の一日でした。


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