昨日寝たの遅かったけどがんばって早起きしましたよ!
ハーフパイプみたさに。
国母くん、青野くんは本当に残念だった(>_<)
でも、やっぱり普通に考えたらすごいわけで。
国母くんはあんなに違った意味で騒がれていたけど、
あのプレッシャーの中であれだけの滑りが出来るってすごいし、
引き際のよさが印象的だった。
まだ若いし、がんばってほしいわ。本当に。
そして笑えたのが選手が滑る前に、
後ろに大きなパブリック・ビューイングみたいな画面があって、
あれにPVみたいな感じで流れてるのがちょっと笑いました。
アイドルチックで面白かったです。
そして、ショーン・ホワイト。
すごすぎる全てにおいて完璧。
あんな高さ飛んで、空を飛んでるときってどんな景色か見えるんだろう?とか思ってしまう。
すごく魅せてくれるよね、彼は。毎度ながら感動してしまいました
トータルで彼の今日のあのランを20回くらいは見たと思います(笑)
そして、あの赤毛。
子供の頃とか絶対にからかわれてたんだろうなーなんて勝手に思ってます。
で、ショーン・ホワイトは神の領域、というか、ボードの神が降りてきてると思うのですよ。
あんなん、人間業じゃないもの。
そしてショーン以外に今日の私が選ぶのはアメリカのルイ・ビト。
何がいいって勢いのよさと、人懐こい笑顔。かわいいです
今日はボードと私の出会いのお話でもしようかしら。
私は子供の頃からスキーをやらされていました。
幼稚園くらいからスケートを始め、その後はいつの間にかスキーになってました。
高校の受験がある週末にもスキーにつれていかされてました。
「これだけ滑れば、受験では滑らないでしょ」と言うノンキな両親の元で育った私です(笑)
おかげで高校は滑りませんでしたが
でも親とスキーに行くのが嫌になり、高校の頃は全然行かなくなりました。
そんなんでしたが専門学校時代くらいから回りがボードになり、ボードに転換。
でも正直スキーからボードへの転換は難しく、かなり挫折した私(>_<)
雪山に行くのさえも嫌になりました。
二度とやるまいそう思っていました。
その後カナダへ。
私がカナダに住み始めたのは12月中旬。
そして出逢う人たち、周りは、みんなボードやる人たち。
そんなわけで着いて3日目くらいに早速ボードに連れてかれた。
ここでもやはり滑れず。転んでばかり。
というか、むしろ立ち上がることさえ出来ない状況
そんな状況なのに、いつもボードに連れて行かされる始末。
やっと立って滑れるようになったものの、やはりよく転ぶ。
おまけに昔の捻挫がまた発生し、それがクセになり、
足をよくひねるようになってしまった。
で、何でこんなに毎回毎回ひねっちゃうんだろう・・・?と考えた。
も、もしや・・・・?
通常は「レギュラー」という利き足である右足を後ろして滑るのだけど
「グーフィー」という利き足の左足を後ろして滑るスタンスにしてみた。
そしたら・・・
滑れる滑れる(笑)
「あれ、私グーフィーだったみたい(爆)」
今まで何度も転んでいたのに転ぶ回数が一気に減り、
ターンも出来るようになり、滑れるようになった(笑)
早く気づけよ!(笑)
そんなわけで二度とやるまいと決めていたボードですが、
周りの影響もあり、いつの間にか結構な回数をカナダで重ねていました。
出逢う人ほとんどがボードやる人だったんだもん(笑)
ゲレンデまで近いから、ウエアー着て、そのままバスに乗りゲレンデへ(笑)
そしてバンクーバーの夜景を見ながら滑るという贅沢☆
バンクーバーはウィスラーという山から遠くはないので、
本当に色んな人がボードをやりにウィスラーに篭る。
日本人も多く、実際私の友達でもプロになった人がいた。
そんな彼が数年前のボードの雑誌で特集を組まれていた。
(DVD発売もあったので特集だったみたい)
何か、すごく嬉しかった。
おまけに同じ雑誌にボードのカメラマンとして、別の友人の写真が
デカデカと掲載されていた。
(プロになった友人と、カメラマンの友人も仲間同士)
そのカメラマンの男の子はカメラのことでいつも話してたし、
帰国してからも結構連絡を取り合っていたので、
同じ雑誌にその2人が載ってることがすごく嬉しかった。
だから、その雑誌は今でも大切にしてあります。
まあ、そんなわけでボードを私に教えてくれた場所、それがカナダなのです。
それにしても、相変わらずボードは下手ですが雪は好きになりました。
ちなみに、私は冷え性がカナダでの生活で治りました(笑)
体質が変わったみたいです
・・・と、今日もカナダへの病気を暑苦しく語るわたしをお許しください。
病気はまだまだ続きます。
あ、でもオリンピックはハーフパイプが終わったので、
私の中のオリンピックは終わりました(笑)
燃え尽きました。
ハーフパイプみたさに。
国母くん、青野くんは本当に残念だった(>_<)
でも、やっぱり普通に考えたらすごいわけで。
国母くんはあんなに違った意味で騒がれていたけど、
あのプレッシャーの中であれだけの滑りが出来るってすごいし、
引き際のよさが印象的だった。
まだ若いし、がんばってほしいわ。本当に。
そして笑えたのが選手が滑る前に、
後ろに大きなパブリック・ビューイングみたいな画面があって、
あれにPVみたいな感じで流れてるのがちょっと笑いました。
アイドルチックで面白かったです。
そして、ショーン・ホワイト。
すごすぎる全てにおいて完璧。
あんな高さ飛んで、空を飛んでるときってどんな景色か見えるんだろう?とか思ってしまう。
すごく魅せてくれるよね、彼は。毎度ながら感動してしまいました
トータルで彼の今日のあのランを20回くらいは見たと思います(笑)
そして、あの赤毛。
子供の頃とか絶対にからかわれてたんだろうなーなんて勝手に思ってます。
で、ショーン・ホワイトは神の領域、というか、ボードの神が降りてきてると思うのですよ。
あんなん、人間業じゃないもの。
そしてショーン以外に今日の私が選ぶのはアメリカのルイ・ビト。
何がいいって勢いのよさと、人懐こい笑顔。かわいいです
今日はボードと私の出会いのお話でもしようかしら。
私は子供の頃からスキーをやらされていました。
幼稚園くらいからスケートを始め、その後はいつの間にかスキーになってました。
高校の受験がある週末にもスキーにつれていかされてました。
「これだけ滑れば、受験では滑らないでしょ」と言うノンキな両親の元で育った私です(笑)
おかげで高校は滑りませんでしたが
でも親とスキーに行くのが嫌になり、高校の頃は全然行かなくなりました。
そんなんでしたが専門学校時代くらいから回りがボードになり、ボードに転換。
でも正直スキーからボードへの転換は難しく、かなり挫折した私(>_<)
雪山に行くのさえも嫌になりました。
二度とやるまいそう思っていました。
その後カナダへ。
私がカナダに住み始めたのは12月中旬。
そして出逢う人たち、周りは、みんなボードやる人たち。
そんなわけで着いて3日目くらいに早速ボードに連れてかれた。
ここでもやはり滑れず。転んでばかり。
というか、むしろ立ち上がることさえ出来ない状況
そんな状況なのに、いつもボードに連れて行かされる始末。
やっと立って滑れるようになったものの、やはりよく転ぶ。
おまけに昔の捻挫がまた発生し、それがクセになり、
足をよくひねるようになってしまった。
で、何でこんなに毎回毎回ひねっちゃうんだろう・・・?と考えた。
も、もしや・・・・?
通常は「レギュラー」という利き足である右足を後ろして滑るのだけど
「グーフィー」という利き足の左足を後ろして滑るスタンスにしてみた。
そしたら・・・
滑れる滑れる(笑)
「あれ、私グーフィーだったみたい(爆)」
今まで何度も転んでいたのに転ぶ回数が一気に減り、
ターンも出来るようになり、滑れるようになった(笑)
早く気づけよ!(笑)
そんなわけで二度とやるまいと決めていたボードですが、
周りの影響もあり、いつの間にか結構な回数をカナダで重ねていました。
出逢う人ほとんどがボードやる人だったんだもん(笑)
ゲレンデまで近いから、ウエアー着て、そのままバスに乗りゲレンデへ(笑)
そしてバンクーバーの夜景を見ながら滑るという贅沢☆
バンクーバーはウィスラーという山から遠くはないので、
本当に色んな人がボードをやりにウィスラーに篭る。
日本人も多く、実際私の友達でもプロになった人がいた。
そんな彼が数年前のボードの雑誌で特集を組まれていた。
(DVD発売もあったので特集だったみたい)
何か、すごく嬉しかった。
おまけに同じ雑誌にボードのカメラマンとして、別の友人の写真が
デカデカと掲載されていた。
(プロになった友人と、カメラマンの友人も仲間同士)
そのカメラマンの男の子はカメラのことでいつも話してたし、
帰国してからも結構連絡を取り合っていたので、
同じ雑誌にその2人が載ってることがすごく嬉しかった。
だから、その雑誌は今でも大切にしてあります。
まあ、そんなわけでボードを私に教えてくれた場所、それがカナダなのです。
それにしても、相変わらずボードは下手ですが雪は好きになりました。
ちなみに、私は冷え性がカナダでの生活で治りました(笑)
体質が変わったみたいです
・・・と、今日もカナダへの病気を暑苦しく語るわたしをお許しください。
病気はまだまだ続きます。
あ、でもオリンピックはハーフパイプが終わったので、
私の中のオリンピックは終わりました(笑)
燃え尽きました。
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